『自然との共生と物質の循環』
空色は、空の生命がみせる色
水色は、水の生命がみせる色
枯色は、生命活動を閉じる直前にみせる生命の輝きの色
これほどまでに輝くのかと思うほどの、自然の生命の発現
かつての人々は自然の中に、そんな色たちの世界をみていました
自分たちの生命をとおして、つかみとった自然の生命の色を
自然を支配、制圧しようとしてきた欧米的な人間中心主義
文明社会が生み出した大きな矛盾、そして破綻への連鎖
自然を知るということは、人間の外にある自然を知ることではなく
目に見える自然のみを考察してわかるものでもありません
自然と人間との一体的な世界を知ること
その意味から人間の世界を知ること
自然にはまだみえぬその先があります
そこに生きる植物や生物たちにも
そして人間も、その恩寵のそばから離れてはいけないのだと思います
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『自然との共生と物質の循環』というコンセプトで制作を始めた金属の植物や蝶、流木や倒木の彫像。
早いもので丸3年が経ちました。あっと言う間でした。
2007年まで、僕らは年に何十件という百貨店などのテナント工事のデザインや什器制作をしていました。
大きなコミュニティーの中で、たくさんの人たちとお金が通り過ぎていきました。
少しでもついていけない人たちは、いつの間にか顔を見なくなってしまっていました。
大きなものの中にいると、自分は他の人よりも大きく、価値のある人間だと思い込んでしまうのかもしれません。高圧的な人たちや過度に依存している人たちを見ていると、自分はどうなんだろう、どう見えているんだろうと不安でした。
自分を見失わないために作品を作るようになったというのは、後付けの理由ですね。
大きなコミュニティーの中でも、自分を見失わないでいられる人たちもいますから。
山や森の自然の中にいたときに、精霊の声を聴いて人生の分岐点を迎えたわけでもなく、何か大きなきっかけがあったわけでもありません。
いろんなことが多層的に重なっていって、いつの間にか作品を作るようになっていた気がします。
この世界や人間の内面などには光と影が存在しますが、精霊は光の中に存在するイメージで彫っているつもりです。極力、影が存在しないようにしています。
植物も光に向かって伸びていくので、朽ちてはいても枯れ果ててはいない生命の輝きを出すようにしています。
影ばかりを見て、それに追われていた頃に少しだけ光が見えていたのかもしれませんね。
ほんの少しだけでも、すごく明るかったんだと思います。
今年を振り返るというより、来年に向けて、改めて『自然との共生と物質の循環』について、思いを巡らしている年の瀬です。
